"追悼 大山正先生 コロンビア大学グレアム教授への2通の書簡とともに"
溝口 元(立正大学)
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『心理学史・心理学論』 Vol.20/21 詫摩 武俊・大山 正 両先生追悼号 2020年
はじめに
本誌顧問、大山正(1928年1月21日-2019年12月16日)先生の訃報は、本誌編集委員、高砂美樹氏からの「心理学史メールリングリスト」から知ることできました。以下のようです。
「心理学史MLのみなさま 大変残念ですが、大山先生が亡くなられました。以下、情報を転写します。故 大山正 儀 享年91歳にて水眠いたしました。ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。葬儀は下記の通り執り行います。
葬儀日程 通 夜 12月24日(火)18時-19時
告別式 12月25日(水)11時-12時
葬儀会場 於 代々幡斎場
住所:東京都渋谷区西原2-42-1
電話:03-3466-1006
筆者は、告別式に参列させて頂き先生のご遺影(図1)を拝見して、ご冥福をお祈りしました。そして、20年ほど前、アメリカ·アクロン大学心理学史アーカイブでの調査(「日本の心理学史にかかわる海外資料調查研究」(研究代表者:西川泰夫、平成15、16、17年度、科学研究費補助金(基盤研究B)による)の際、先生と初めてお会いし、そこで閲覧·複写した先生のグレアム教授への2通の書簡(BOX5Folder 4 Psychology in Japan, 1954 someobservations on Psychology in Japan,1953)の公開を報告させて頂きました。
すなわち、アーカイブが所蔵していたグレアム·ファイルに大山先生直筆の書簡が含まれているのを見出し、「先生のものがありましたよ」と伝えると「え、これが残っていたのか」という様子で見入っていらっしゃいました。そして、筆者が「公開しても宜しいですか?」と尋ねたところ「時期をみてね」とおっしゃいました。告別式で、その時が来んだと思えました。
なお、アクロン大学心理学史アーカイプでの調査の際の写真が大山先生が監訳をされた「写真で読むアメリカ心理学のあゆみ』(2001、新曜社)の奥付前の監修者·訳者紹介の次に載せられています。左から佐藤達哉、西川泰夫氏、中央に原著者のポップルストーン名誉教授、その右に大山先生。さらに右牌が筆者で、前に鈴木祐子氏が写っています。そこで、本稿はこの2通の書簡を紹介しながら大山先生を追悼させて頂きたいと思います。加えて、この書簡の位置付けの理解のために、大山先生の研究歴および1950年代の日本心理学会における研究動向にも触れてみたいと思います。 なお、本稿では追悼文という性質上、敬称は略さず「です、ます調」で記しました。
1.京都実験心理学セミナー
さて、戦後復興の一環としてアメリカ文化を日本に普及、定着しようとする行事や催しが盛んに行われました。それは日本の非軍事化、民主化を目指すものでもありました。担当したのは連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局で、1945年9月22日東京·内幸町の東京放送会館(旧NHKビル)に設けられました。ここが1946年1月、本国陸軍省に教育使節団の派遣を要請し同年3月、27名からなる米国教育視察団が来日しました。
そこには、スタンフォード大学の心理学者ヒルガード(Ernest Hilgard,1904-2001)の名が見えます(溝口、1997、「占領軍·占領政策と心理学」「通史 日本の心理学」北大路書房、326-331頁)。一行は現地調査や聞き取り調査を行い、占領政策、対日政策の一環として捉えることができる報告書(「米国教育視察団報告書』文部科学省ホームページ、https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/ 2020年3月3日閲覧)を作成しました。
その延長上の一つにロックフェラー財団の支援を受け1952年8月に行われた「京都実験心理学セミナー」があります。これについては、本誌西川秦夫編集主幹が「京都アメリカ研究セミナー グレアム教授による実験心理学セミナー」と題して、日本側関係者、当事者、参加者に配布された資料を基に簡潔にまとめられ解説されています(西川泰夫 2006「心理学史』(西川泰夫·高砂美樹)放送大学教育振興会、194-200頁)。
24名の参加者の中の3名の大学院生の内の1名が大山先生でした。これらの方々は「その後の日本の心理学の各分野の研究や教育の先端に立ち、また、各種の心理学会の重責を担うことになった人々が大部分であった」、「当時大学院生であったものから助教授までの日本の将来を期待された若手の研究者を主体とするセミナーの意義は、戦後の心理学の復活にとって、また、以降の日本の心理学を担う個別の大学の展開にとって、さらには参加者相互の幅広い人的交流は日本心理学会という組織運営のうえでも、計り知れないほと大きなものがあったといってよい」と最大級の賛辞がなされています。
この8月4日から17日間にわたるセミナーの実験心理学を担当したのがコロンビア大学のグレアム(Clarence Henry Graham 1906-1971)教授でした。朝8時半から一般講義、セミナー、その準備や討議、グレアム教授の3人ずつの面接、グループ討議が行われたといいます。
彼らがセミナー終了後にグレアム教授に宛てた寄せ書きが残っており、ウエップ上で問覧することができます(「京都実験心理学セミナー」参加者の寄せ書き、京都大学、歴史館、心理学ミュージアム、日本心理学会(psychmuseum.jp/collectionkt/2020年3月3日閲覧)。しかし、残念なことに左隅に書かれた大山先生の名は欠けており一部しか見ることができません。そこで、ここではアクロン大学心理学史アーカイブが所蔵する原本を示したいと思います(図2)。東洋先生の下に大山先生の名が見えます。
この京都でのセミナーについて、大山先生は「オーラルヒストリー心理学ミュージアム」(2014)で触れており、「大学院の2年生かな、卒業して間もなくです。「京都アメリカセミナー」というものがあって、そこにも書いておいたけれども、スポンサーはアメリカの大学で、本当はアメリカの歴史や文学や政治を日本に広めようというのが趣旨なのだけれども、どのようなわけか、グラアム先生(C.H.Graham)という方がそこにおられたのです。そのグラアム先生という方の影響を非常に受けた」と述べています。研究者人生で大きな転機であったと思われます(ここでの表記はグレアムではなくグラアムになっています。他のところでもグレアムに統一せず原文の表記に従っています)。
しかし、このグレアム教授の来日には後日談があります。元来、このセミナーの目的は、アメリカの社会や文化を今後の日本を背負うであろう人材に紹介することでした。それでは日本はとうなのかということで日本のそれについて意見を求められたグレアム教授が語った記事があります。1952年8月28日「朝日新聞」の「米学者の見た日本の世相」と題するもので5名の同時に来日していたアメリカの学者の談話が掲載されました。「学生運動」、「独立と再軍備」、「英水兵事件」、「夜の女·混血児」、「自由の限界」、「日本の近代化」に分けた発言がみられます。
グレアム(記事の表記はグラハム)教授は、これらの内「独立と再軍備」に関して「日本は独立したわけか再軍僧に熱心だが、その前に自分の社会の安定にもっと関心をもつべきであろう。軍備の問題はその他いろいろな問題と関連して考えるべきだ」と述べています。また、「夜の女·混血児」では「泥血児について父の国のアメリカに助けを求めるのも一法だがアメリカに送るか日本で育てるかは個々の場合について考えるべきで、十ばひとからげの解決策はほんとの解決にならない」と述べています。かなり政治色が感じられる発言と思います(現在では不適切と指摘される言葉が使われていますが、原文のまま示しました)。
この記事に対して、同志社女子大学の福原春代氏が関西学院大学の今田恵教授に1952年9月3日付で書簡を認め「…朝日に出ました「米学者の見た日本の世相」の記事の中でグレアム氏の言業の中に…日本の方々には大変失礼な言葉と思えるものがございましたので、グレアム氏はとても心配して居られます。朝日の方へ訂正を申し込んでございます…何卒先生からもグレアム氏に…あれを読んでの反応等説明して上げて下さいませ」と述べています。また、福原氏は京都·都ホテルに宿泊していたグレアム教授に英文タイプを使って記事の内容確認の書簡を作成し送っています。「朝日新聞」とのやりとりも含め、これらもアクロン大学心理学史アーカイプには保存されています。
結局、グレアム教授は1952年9月7日「朝日新聞」に「日本への称賛の言葉も クレアンス·グラハム」の見出しで再度記事を載せています。福原氏らの指摘が功を奏したものと考えられます。グレアム教授は「記事は要約されているため、非常に複雑な問題に対してあるいは表現が十分でなかった点があるかと思います。」とし「「独立と再軍備」のような複雑で重要な間題について、個人的な見解を述べることはためらわれましたが、しかし、次のことはいえるでしょう。…私は国防の問題は独立国家が正面から直面すべき問題だと信じます」。
「日本の近代化」では心理学研究室に対して「これらの研究室はこれまでよりもっと強力な財政援助が与えられることを希望します。私が会った日本の心理学者やその他の科学者に対しては、私は最高の尊政を持っています。彼らの仕事はすばらしいものです。日本の仕事を翻訳することによって、他国の科学者たちともっとさかんな通信関係ができ上ることを希望します」と上述の記事とはまったくトーンの異なると感じられることを述べています。
この実験心理学セミナーはイリノイ大学、京都大学、同志社大学の共同主催でロックフェラー財団支授を受け行われたもので、今田先生が所属していた関西学院大学の名はみえません。しかし、セミナ-が終了した後、9月3日から5日まで関西学院大学でカンファレンス(日本側はセミナーと呼んでいます。また、原文には実験心理学(ExperimentalPsychology)の表記はなく、単に「アメリカ研究京都セミナー(Kyoto Seminars in American Studies)」と記されています)が行われており、そこで今田先生とグレアム教授が知遇を得たのではないかと想像しています。
なお、西川先生はこの実験心理学セミナーに関して、参加者に配布された原資料について言及され「これは、大学院生として当時の参加者の一人であった大山正(おおやま ただす、1928-)元東京大学·日本大学教授から、筆者に提供されたものである。ここに記して感謝の意を表したい」(西川·高砂「心理学史」195頁)と述べています。
アクロン大学心理学史アーカイプにはここで言及されている資料の他に、グレアム教授のイリノイ大学との報酮に関する契約書や日本への旅程、京都大学との覚書なども残され極めて興味深いものです。筆者は同アーカイプでこれらの複写を入手してきました。その中から一つだけ紹介しておきます。それば日本への旅程です。1952年7月11日付でグレアム教授にSIDNEY B.TRELEASEなる旅行会社が送ったものです。日本への空路入国には、懷かしいバン·アメリカン航空が利用され、概要は次のようです。
7月25日 バン·アメリカン航空 831便
サンフランシスコ 出発 11:00
ホノルル 到着 18:45
7月26日 パン·アメリカン航空 3便
ホノルル 出発 22:00
7月28日 東京 到著 11:30
帰国も同様に記してみると。
9月7日 パン·アメリカン航空 6便
東京 出発 13:45
9月8日 サンフランシスコ 到着 06:00
グレアム教授はコロンビア大学に在籍されていたので、ニューヨークからサンフランシスコまで行きは陸路、帰りは国内便を使われました。グレアム教授の足取りと日本側との交渉記録、ロックフェラー財団の支援過程なとだけで一つの心理学史·現代史に関する学術報告ができそうです。
さて、グレアム教授の経歴については、1906年マサチューセッツ州ウースターで生まれ、学部、修士課程、博士課程すべてクラーク大学で学び、1930年に学位取得されました。テンプル大学、ペンシルバニア大学、クラーク大学、ブラウン大学を経て、最後に1946年からコロンビア大学に動務され視覚、視知覚、日本語にもなってきたビジョンサイエンスに関する教育·研究に従事されました。ここまでは西川先生が触れられています。
筆者がさらに付け加えてよいかもしれないポイントの一つと感じるのが、1952年から1953年にかけて米国海軍調查局(Office of Naval Research)で活躍し、その後の国防関係の委貝会委員だったと記されていることです。日本の非軍事化、占領軍兵士と日本人女性との間の関係等にも心得があり、それが上述の「朝日新聞」の記事での発言につながったのではないかと考えています。
2.大山正先生と図形残効研究
さて、大山先生がこの実験心理学セミナーに参加された1954年前後、日本心理学会では先生が東京大学文学部心理学科での卒業論文以来、取り組まれた「図形残効」がパラダイムと呼んで良いと感じられるほと全盛、研究の主要テーマでした。実際、実験心理学セミナーでもプログラムに「17)図形残効」がありました。ここでは日本心理学会の機関誌「心理学研究」に掲載されたこの図形残効に関する大山先生の成果発表期の論考を掲げてみたいと思います。
23卷4号 (1953)
野澤 晨 図形の持続視とその残効1 Gibson効果に関する実験的研究、217-234頁
吉田俊郎 弧の残効に関する一実験的研究、235-238頁
大山 正 図形残効の実験的研究(1)-時間的要因について-、239-245頁
池田尚子·小保内虎夫 図形残効の数量的分析(第1報告)残効の発達の衰退(1) 246-260頁
24卷1号 (1954)
野澤 晨 図形の持続視とその残効1 Gibson効果に関する実験的研究 2、47-58頁
池田尚子·小保内虎夫 図形残効の数量的分析(第1報告)残効の発達の衰退(2)59-66頁
24卷2号 (1954)
野澤 晨 図形の持続視とその残効1 Gibson効果に関する実験的研究 2、47-58頁
池田尚子·小保内虎夫 図形残効の研究(第2報告)図形残効に及ぼす
持続視時間と光の強度の影響について、114-120頁
24卷3号 (1954)
池田尚子·小保内虎夫 図形残効の数量的分析(第3報告)自己飽和の問題、179-192頁
25卷3号 (1954)
大山 正 図形残効の実験的研究(ⅡI)-空間的要因についてー、195-206頁
26卷3号 (1955)
大山 正 2つのⅠ円の残効、202-203頁
26卷4号 (1955)
池田尚子·小保内虎夫 図形残効·週及効果·同時錯視、235-246頁
26巻6号 (1956)
大山 正 図形残効の実験的研究(Ⅲ)-変位効果についてー、365-375頁
小木曾功 図形残効における変位についての一実験、405-407頁
池田尚子 相反する効果をもつLF.による図形残効の相殺について、407-410頁
これらは、論文間に相互引用がみられ、かつ、学会発表や未発表データ、卒業論文などまで引用文献に掲げられており、当時の学会投稿規程の一端を知ることができるものでもあります。
もっとも、大山先生が東京大学から北海道大学に専任講師として赴任され、「卒論を指導することになって図形残効の続きなどをやってもあまりおもしろくなさそうなので、色の研究を少しいれました」と後述の「オーラルヒストリー」で述べていらっしゃるように図形残効バラダイムは数年で後続研究を生む魅力が衰退したように見えます。逆に言えば、基本間題が解決したと捉えられたということでしょう。
大山先生の経歴については、2014年10月29日に鈴木朋子、荒川歩両氏によって行われた大山先生へのインタヴュー記録「日本心理学会オーラルヒストリー」で知ることができます(以下、大山先生オーラルヒストリー)。グレアム教授との関係の契機であるこの「図形残効」は卒業論文で取り組んでいたことはわかるのですが、ただ残念なのはそれが大山先生独自のアイデアだったのか指導された高木貞二(1893-1975)先生の助言だったのか明確でないことです。
加えて、もう一つはっきりしない経歴は京都実験心理学セミナーへの参加が、大学院生だったのか、「特別研究生」だったのか、ということです。大山先生のご発言から大学院生でかつ特別研究生であったようにみえます。それは、「その頃、大学院に行く人は非常に少ないので、特別研究生といって、1学科1学年に1人ぐらい、助手と大体同じ手当が、樊学金として出るのです。その代わり、助手と同じように、学生の実験の指導や、試験監督までやったような気がする」と述べておられることからです。
3.大山正先生とグレアム教授
このように大山先生は京都実験心理学セミナー参加時の身分が特別研究生であったのか大学院の学生、あるいはその両方だったのかオーラルヒストリーからは判然としないにしても(当時の記録では大学院生)、セミナーの際、「そのグラアム先生という方の影響を非常に受けた」、「グラアム先生と知り合ったと同時に、日本の若手と知り合ったということで、すごく良い会でした。それが、その後いろいろ、私の人生に影響を与えています」とまで述べています。
また、セミナー後のグラアム教授の印象について「 ··· グラアム先生が、前に京都にいらして、講義を受けた。その時もグラアムさんという方は、すごくフランク。押し付けないで、figural after effect 図形残効の話になったら、「これはね。自分よりも大山の方が良く知っているから、大山、講義しろ」と日本人に、英語と日本語とちゃんほんで、それをやった」としています。並みいる先輩を前に大山先生の面目躍如というところでしょうか。
大山先生の心理学史(大山正 1994「心理学史」放送大学教育振興会)には、「内観法と違い、精神物理学的测定法は、行動主義的方法論に十分適合する客観性をもっていることを指摘したのが、コロンビア大学教授であったグレアム(C.H.Graham,1906-1971)である。彼は1934年と1950年にこの主張を明らかにしている。グレアムが指摘したように、精神物理学的测定法が行動主義の立場とも矛盾しない客観性をもったものであるなら、これは人問だけでなく、動物にも適用できるはずである。この試みを、実際に行ったのがブラウ(D.S.Blough)である」と述べています。個人的な関係は言及されていません。
また、この書では、図形残効を「1つの図形が視野の一定箇所に続けて提示されて、ほかの図形にとってかわられること、その後続図形の大きさ、明るさ、奥行などが変化して感じられる現象であり、わが国でも大いに研究された」と「心理物理同型説」の中で説明されています(大山正 1994「心理学史」日本放送出版協会、53頁)。
これまで述べてきたことを背景として、以下の大山先生が認められた2つの書簡を取り上げたいと思います。これらは、アクロン大学心理学史アーカイブ所蔵資料であり、閲覧·複写を許可されたものです。お二人の関係が窺われる貴重な史資料と思います。まず、一つ目は大山先生ご自身がタイブライターを使われたものと考えられます。
東京大学心理学教室東京本郷 日本
クラレンス·H·グレアム先生
1955年3月8日
最近、私は図形残効の空間的要因に関する研究を発表しました。別便でこの記事の別刷をお送りします。先生はこれまでに多くの研究を報告されていらっしゃいます。先生の有用な示唆に感謝申し上げたいと思います。
図形残効における検査図の幅の広さの効果についても調べてみました。その結果、検査図の幅が増加するに連れて残効が僅かに増加する結果を得ました。この実験は先生の講義で引用されたグレアム夫人の未発表データから示唆を得たものです。彼女と私の結果の間にみられるいくつかのギャップに疑問を感じます。
先生が再び来日され、私どもの大学で教育されることを望んでいらっしゃることを耳にしました。我々はそれを大いに喜ぶとともに多大な期待と実現することを望んでおります。われわれの教室主任の相良守次教授が最短時間で来日できるようにフルブライト教授助成金の準備に奔走されています。
今、検査点上の調査点の残効を調べる実験を予定しております。この条件が距離のパラドックにおける変位効果を確かめるもっとも単純化された条件と思っております。
今、検査点上の調査点の残効を調べる実験を予定しております。この条件が距離のパラドックにおける変位効果を確かめるもっとも単純化された条件と思っております。敬具
大山 正
文中、大山先生が別便でグレアム先生に送られたというのは、日本語の論文で大山正「図形残効の実験的研究(Ⅱ)-空間的要因についてー」「心理学研究」25巻3号195-206頁(1954)ではないかと思われます。大山先生が初めて英語で書かれた論文は、1956年のJapanese Psychological Researchの3巻25-36頁に掲載されたTemporal and spatial factor infigural after-effects で図形残効がテーマです。しかし、書簡の日付より後なので別刷を送ることは不可能です。
上記論文の本文は日本語で英語要約が付せられているわけではありませんが、11の図と7つの表があり、タイトルと説明は英語です。それに論文化されていない京都実験心理学セミナーにおいてグレアム教授が使われた教材1編とグレアム教授以外の13編の英語文献の引用が文献として記されています。これを大山先生はグレアム教授へ送付されたことになります。研究者であれば図と表およびその説明でおよそとのような研究がわかるはずというお考えだったのかもしれません。ともかく研究成果を伝えようとする先生の熱意に圧倒されます。
2つめは1955年5月に、直筆筆記体で書かれたもので図3に示しました。内容は以下のようです。
東京 日本
C.H.グレアム先生
1955年5月30日
先月、私は京都で開催されました日本心理学会の年次大会に参加しました。京都セミナーにおいて先生からご指導を受けた学生たちが再びそこで一緒になりました。
知覚に関して20件の報告がありました。私はT点における|点の実験を報告しました。
同封した写真は京都大学心理学教室玄関で撮影した東氏と私です。目下、私は反転园に與味があります。私及び協力者とその実験に着手しているところです。歡具
大山 正
文中の京都で開催された日本心理学会とは、1955年4月7日から10日まで、矢田部達郎(1893-1958)教授を大会長として京都大学で行われた第19回大会を指すと考えられます。残念ながら同封されていたとされている写真は見当たらず、拝見することはできませんでした。
大山先生とグレアム教授との関係は、「フルブライト交流事業」を利用したコロンビア大学留学で結実したといって良いように見えます。大山先生オーラルヒストリーでは「フルプライトのボストドクトル·ブログラムを受けて、英語はあまりできないけれとも、推薦状をグラアム先生に書いていただいた。それは、京都セミナーのおかげで、グラアム先生が書いて下さった」と述べられています。京都での実験心理学セミナーやここに示した2つの書簡を含む通信で全幅の信頼を得ていた結果としての推薦状、ホストとしての受け入れにつながったのではなかったのかと推察します。
コロンビア大学留学時代については、大山先生ご自身がまとめられた「コロンビア大学潘在記(1963-64)」「心理学ワールド」41号(2008年4月号、33頁)から当時の様子を推測させて頂きました。研究として「私は当時日本の心理学研究室にはまだなかった光学機器を使った色の対比の実験的研究を行った」と述べられています。この時期の先生のホームページに掲げられている論文リスト(http://oyamaohsrg.org/ 2020年3月3日閲覧)を拝見すると、グレアム教授との共著論文はみられません。「戦前から在米していた中国人研究者シャー(Yun Hsia)博士と交互に実験者と被験者を務めてデータを集めていった」とのことです。
その成果が、大山先生が帰国後の1966年に刊行された「実験心理学雑誌(Journal of ExperimentalPsychology)」71卷の論文 Oyama T. & Hsia Y."Compensatory hue shift in simultaneous colorcontrast as a function of separation betweeninducing and test fields"に該当すると思います。「…実験計画なとは、一応グラアム先生に相談するが、すぐOKが出て、後は暗室内で単純な実験の繰り返しであった」ということで、グレアム教授も大山先生を全面的に信頼され、研究も任されていたことが窺われます。
通常、1960年代前半までの留学生は、ホストの教授との共著論文を国際誌に発表し、「錦の御旗」を揚げることが一つの目標であったという話は筆者の大学院時代にしばしば耳にしたことでした。とくに自然科学系ではこれがその例かと思える事例が珍しくありませんでした。現代でも生命科学系では、ノーベル生理学医学賞受賞者の研究室に在籍することがある種のステータスにつながるといわれています。
心理学アカデミアのメインストリームを歩んで来られた大山先生にとってはそのような行為は「邪道」であったように思えます。アメリカでの心理学史資料収集調査研究の際、コロンビア大学が所在するニューヨークのマンハッタン地区ではグランドセントラル駅近くのホテルに宿泊しました。大山先生が折に触れて語られたニューヨーク満在時のお話を懐かしく思い出します。
おわりに
最後に、大山先生の心理学史について述べさせて頂きたい思います。先生の心理学史に対する態度が鮮明なのは、1994年に出版された放送大学の印刷教材(テキスト)「心理学史』(放送大学教育振興会)にみられると思います。「まえがき」には「現在の心理学を理解するのには、このような心理学史を知ることが近道である」「心理学の歴史を学ぶとき、今日の心理学の受けている方法論上の制約についても理解できよう」と述べています。すなわち、本書の性格を「歴史を通して入る心理学の入門書である」とされています。
「まえがき」以外では、「心理学史を学ぶために」で6項目を挙げています。(1) 時代精神との関係,(2) 現代心理学への影響、(3) 心理学への対象、(4)心理学の方法、(5) 心身関係、(6) 生徳説と経験説、です。なかでも(2)には「心理学史を知ると現代の心理学がなぜこのような姿をしているかがわかる」と心理学史の教材的実用的部分の核心を指摘されています。
もっとも、大山先生の心理学史観として、「心理学史の概観」に「…19世紀末にく比較心理学>が発足した。比較心理学は20世紀に大いに発展する」(11頁)。(ゲシュタルト心理学は)「ヴントらの要素論を徹底的に批判し、全体論を主張し、知覚、記憶、思考、情意行動の研究に新たな発展をうながした」(11頁)。「心理学史をまなぶために」にも(5)心身関係で「生理学の発達は、心理学の発展に大きく関与している」(13頁)と記されているように心理学の「発展」を跡づけることに心理学史が一役買うように捉えられていたとも感じられます。そこには先行研究や研究という行為自体を批判的に、客体的に捉え反省の機会にするというよりも、先人の成果を引き継ぎ展開させることが使命という姿勢のようにもみえます。
それは、大山先生ご自身の研究がまさに日本の段後復興と軌を一にして心理学の復興に携わり国際的な水準にまで引き上げることに尽力されたことと対応しているのではないかと感じられます。京都実験心理学セミナーが開催されていた段階で「…発表数の上では、日本心理学会は、この時期すでに世界最大といわれるアメリカ心理学会に次ぐ盛況と来日中のグレアム(C.H.Graham)教授に批評されるまでになっている」(小谷野邦子 1998 IV 日本の敗戰と心理学の再出発『日本心理学史の研究」心理科学研究会歴史部会編、法政出版、86頁)といわれるように、量的には戦後復興を成し遂げた世代の課題が質的向上による日本の心理学研究の発展であろうということが背景にあったのではないかと思われます。
大山先生とともに本誌顧問でかつ大学時代の同期生であった詫摩武俊先生がほぼ1年前に同じく91歳で逝去されました。論文リストから、お二人はテキストの類では少なくない共著や共編の刊行物を検索することができますが、共著論文となるとなかなか見当たりません。1954年に刊行された「心理学研究」24卷3号に掲載された大山正·詫摩武俊 選択反応装置の一工夫、245-246頁が数少ない最初期のものでしょう。終生の友人とはお二人の事をいうのではと思いたくなります。
大山先生にとって、理系出身で文科系学生に自然科学系一般教育科目を講じ、科学リテラシーの向上を目指すことを生業としている筆者とは何の関係もない文字通り「とこの馬の骨かわからないやつ」だったに違いありません。それでも、アメリカでの心理学史資料収集や心理学史研究会では光栄にもお相手にして頂けました。とくに大山正·佐藤達哉(2001)「「近代」心理学か「現代」心理学か:元良勇次郎の心理学史上の位置付け一西川(1999)、溝口(2000)両論文に答える」(「心理学史·心理学論」、3、21-28頁)では主題的に扱って頂きました。これに対する反応や先生の精神物理学に対する論考の変遷については稿を改めて述べさせて頂きたいと思っています。再度、ご冥福をお祈りさせて頂きたいと思います。
本稿をまとめるにあたって資料収集に高砂美樹先生から多大なご協力を得ました。記して感謝申し上げます。




