"大山正先生を悼む"
サトウタツヤ(立命館大学)
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『心理学史・心理学論』 Vol.20/21 詫摩 武俊・大山 正 両先生追悼号 2020年
大山正先生が2019年12月16日にご逝去された。まさに巨星墜つ、の感を強くする。
http://oyama.ohsrg.org/を見れば一目瞭然だが、大山先生は実験系の知見を中心にしつつも応用領域、心理学史領域にも関心をもっており、それを論文の形で公刊し続け、日本の心理学界を牽引してきた存在である。中でも死後に論文が公刊されたことは、大山先生の存在を圧倒的なものとして残る世代の者たちに印象づけた(海外でも徹底的行動主義のスキナーに同様のことがあった)。
さて、私は東京都立大学人文学部·人文科学研究科の出身であり、指導教員は故詫摩武俊先生であった。そして、大山·詫摩というのは同じ東京大学出身の朋友として、誰もが認める関係であった。さらに二人の同窓生を加えた東洋、大山正、詫摩武俊、藤永保(編集)『心理学の基礎知識』(有斐閣,1970)は、当時における日本の心理学の金字塔であり、大学院生や研究者で目を通さなかったものはいなかったと思われる。また、大山·詫摩のおふたりは日本心理学会の50年史、75年史をそろって牽引する立場にあり、さらには本誌『心理学史·心理学論』の顧問であった。
大山正先生は、心理学徒の私にとって長らく記号としてのみ知っていた存在だが、生身の人間として接したのはおそらく1990年である。この年、大山先生は当時(東大教授を終えた後)日本大学教授で、東京都立大学大学院人文科学研究科の非常勤講師として出講していただいていた。この年、日本心理学会を開催することになっており、助手だった私は講義には出なかったものの、大会の開催についていくつか会話を交わしたことを思い出す。
その後、筆者は福島大学行政社会学部に勤務するようになり、同時に、心理学史の研究にも本格的に取り組み始めた。また、1997年には内地留学で東京大学文学部に所属する機会を得た。日本大学には故児玉斉二先生が在籍しておりその弟子筋の鈴木祐子氏(現·立命館大学客員研究員)が大学院生·助手として在籍していたということもあった。おそらくこれらすべての経緯があったからであろう、大山先生から『心理学評論』に執筆する論文を手伝ってほしいという依頼があった。内地留学中に東大心理の備品台帳を電子データ化していたが論文執筆には使っていなかったため、それを分析して共著論文の一部にすることができた(大山·佐藤,1999)。そしてその時の原稿は筆者の博士論文(『日本における心理学の受容と展開』)の一部にもなっている。さらには大山先生·私·鈴木祐子の3人で英語の共著論文を執筆する機会にも恵まれた(Oyama, Sato, & Suzuki, 2001).
大山先生との記憶で最も初期かつ最も劇的だったのは1998年夏(8月5~14日)に行ったアメリカにおける心理学史ツアーであろう。これは西川泰夫先生の科学研究費(基盤B)の研究として行ったものであり、日本の心理学史の画期をなすできごとの一つであった。このツアーのことは、他の方もお書きになるだろうからここではあまり触れない。私が作ったサイトを紹介してきたい。
https://www.ads.fukushima-u.ac.jp/~tsato/sato/diarybox/98augpsh/cover.html
メンバー(当時の所属)は以下の5名であった。
西川泰夫(北海道大学) 大山 正(日本学術会議) 佐藤達哉(福島大学) 溝口 元(立正大学) 鈴木祐子(日大·院)
全体のスケジュール予定(大した事故も変更も無かった)
8月5日
成田発13:10 NW806 デトロイト行
デトロイト発13:40 NW3034 アクロン着14:10
心理学史博物館訪間
8月8日朝まで、アクロンヒルトン添在
8月8日
アクロン発12:00 NW3035 デトロイト行
デトロイト発14:00 NW994 ボストン着15:56
10日ハーパード·11、12日クラーク
8月13日朝まで、ケンプリッジ·マリオットホテル添在
8月13日
ボストン発11:45 DL6107 ニューヨーク着12:55
8月15日朝まで、グランドハイアットホテル添在
8月14日
ニューヨーク発08:35 DL6187 ボルチモア着09:55
ジョンズホプキンス大訪間
ボルチモア発16:29 DL6121 ニューヨーク着17:39
8月15日
NY発12:53 NW087 デトロイト行
デトロイト発15:15 NW346 サンフランシスコ着17:05
APA第26部門 8月18日朝まで、添在
8月18日
サンフランシスコ発14:20 NW27
8月19日
成田着16:56
この調査旅行で思い出すのは、食事のことである。アメリカについた直後、大山先生が日本食を食べたいと言い出した。私は内心(えー、なんでアメリカで日本食?)と思ったのだがしぶしぶ従った。しかし、結果として海外に移動直後に日本食を食べるというのは体調のために良いことだということがわかった。それ以来私は、あらゆる海外出張において入国日か翌日に日本食を食べることにしている。院生達は辟易としているかもしれないが、日本食の変化過程の文化心理学的研究だと言って押し切っている。
さて、大山先生と私の共著ライフの最大の山場は、2001年の論文である。この論文は、心理学の時期設定をめぐるものである。私たちが「心理学評齢」に執筆した「東京大学における心理学古典実験機器について」(大山·佐藤,1999)という論文に対して、本誌主幹である西川泰夫先生と科学史家で本誌編集委員の溝口元先生が大山先生の歴史認識に異を唱える形となり(西川,1999:溝口,2000)、本誌編集願間の大山先生と本誌福集委員の筆者が反論する形で執筆されたのがこの論文(大山·佐藤,2001)である。
論点は3つあった。1つ目は時代区分の問題であり、さらにその区分された時代のネーミングに関する問題である。この間題はさらに、元良勇次郎によって日本に導入·定着された心理学が、「近代」心理学か「現代」心理学か、という問題(論点1)と、私たちが論文内で用いた元良以後昭和戦前期までの時代区分を5つに分けることの妥当性の問題(論点2)である。さらにもう1つは、論文表題に用いた「古典」という語を巡ってのこと(論点3)である(大山·佐藤,2001)。この共著論文は執筆に手がかかっており、福島の温泉宿で合宿までしているのである。つまり、筆者は大山先生と部屋を共にして(相部屋)、福島の料理に舌鼓をうち、温泉を楽しみながら論文の構想を練ったのであった。
振り返ってみると––ありがたいことに––筆者は大山先生と20年にわたって共同研究者であったということになる。その背景には私が詫摩先生の弟子だったということがあったことは疑いがないところであるが、晚年には、「君の指導教員ってだれだっけ? ああ詫摩か(呼び捨て) …… 」というようなこともあった。
一方で ― ふと思い出したのだが ― 何かのときに、詫摩先生のとある話をタクシーで聞かされたという話をしてくれた。家族構成にかかわる重要な話を朋友である大山先生に打ち明けるに際してタクシーの車内を使ったというのである。詫摩先生が先に自宅に着いたので降り、その後、大山先生が自宅で降りることになった。大山先生が降りる際に、タクシーの運転手さんが、わざわざ「これまでに聞いたコトのない面白い話を聞かせてくれてありがとうございました」とお礼を言ってきたというのである。その話の内容については、あえて聞くことはなかったが、そうした話を嬉々として ― 詫摩先生の弟子である ― 筆者に語っていた時の笑顔を思い出す。
心理学史家としての大山正先生、安らかにお眠りください。
文献
・溝口 元(2000)「近代心理学」か「現代心理学」か一日本における心理学研究体制のルーツ 心理学史·心理学論 2,35-39.
・西川 泰夫(1999)日本の現代心理学形成にかかわる学問史的検討一明治·大正期に留学した先達、事例検証「堀梅天」の場合一心理学史·心理学論1,1-7
・大山 正/佐藤 達哉 1999 東京大学における心理学古典実験機器について一備品台帳を手がかりにしてー心理学評論 42,289-312.
・大山 正/佐藤 達哉 2001「近代」心理学か「現代」心理学か:元良勇次郎の心理学史上の位置付けー西川(1999),溝口(2000)両論文に答える一心理学史·心理学論 3,21-28.
・Oyama, T. Sato, T., and Suzuki, Y. (2002) Shaping of scientific psychology in Japan. InternationalJournal of Psychology, 36, 396-406.


