Tadasu Oyama

"当刊行会顧問大山正先生の訃報に接して"
 西川 泰夫(『心理学史・心理学論』主幹・上智大学)

   

『心理学史・心理学論』 Vol.20/21 詫摩 武俊・大山 正 両先生追悼号 2020年 

 2019年12月18日、心理学史MLの管理者であり、かつ当「心理学史·心理学論』誌刊行会事務局長である高砂美樹氏からのメンバー宛の通知により、大山正先生の訃報が通知されました。当方は、すでにだいぶ以前より先生が入院加療中であることを日本大学名誉教授である筆者の大学時代の先輩から知らせを受けていましたがことをおおげさにすることはご静養にそぐわないと自粛しご回復を期待していましたが、残念なことに先生の逝去の報に接し、ここに衷心よりお悔やみを申し上げる次第です。
 当刊行会の願問でもあられた大山先生の成し遂げてこられたご業績については、筆者が書き記すまでもなく心理学界に鳴り響いていることであり周知のことですから言及するまでもないことでしょう。その令名は日本国内にとどまらず、世界の心理学ワールドでもその活躍の内容は飛びぬけておられます。こうした業績については先生ご自身の認めた100篇以上の論文一覧をはじめ直接の関係者がとなたも書き記すことでしょうから、ここでは先生と筆者の個人的な出会いや心理学史の研究にとどまらない心理学研究の一端を通じた交流の跡を記し、先生との在りし日の追憶の記録を認めます。
 先生との初めての出会いは、遡ること56年以前の1964年のことでした。筆者が日本心理学会の正会員となった大学院修士課程の学生で初めて学会で口頭発表をした際のことです。卒論で取り組んでいた「両眼視空間の多変量解析」(これは、その後筆者の学会誌デビューとなる英文論文として、日本心理学会英文機関誌に投稿採択されたものです)の一端を発表した後の質疑応答の時間に早速先生が質問された時でした。もちろんそのお名前もお顔を拝見するのも初めてでしたが、的確なご指摘とご質問に明確な答えができなかったのですが、まったくの新人(ニューカマー)の発表に研究者としての見識を示され極めて印象深い瞬間でした。それ以後は、当時の関東地区の各大学の若手研究者(助手(現在の助教)や助教授(現在の準教授、ないし専任講師)を中心として、主だった教授たちはいわば後見人という立場で参加)を中心とした年に一度定期的に開催されることになった知覚コロキウムに参加したさいも、必ずそこにおられたのが、先生でした。このコロキウムは、現在も継続しています。筆者も若手の一人として主催校の役割を果たしました。1976年3月29日~31日の日程で当コロキウム第9回目でした。当時の上智大学の心理学コースの院生のほぼ全員の協力を得て、大学の施設であった日光かつらぎ館を会場として実施しました。さらにはいつのころからか新たな若手を中心のコロキウムも別途持ち回りで開催されているものです。その謳い文句が、実際の若手のみならず精神年齢の若いと自称する年配者も参加可能なコロキウムも同じく2泊3日の泊りがけで開催されてもいます。筆者も精神年齢の若い自称若手として参加もしたりしました。ともあれ、コロキウムは、研究発表をはじめ、研究のアイデアやそのパラダイムをめぐる思索などを自由に発表するもので、学会のように所定の手続きに基づかなくとも研究への取り組み姿勢をめぐる、思索内容やその論理展開の過程を語ることが重要でした。ことに夜に入ると食事後の深夜から、場合によっては夜を徹してのアルコールが入った段階での各自の喧々囂々とした論争や意見交換は、研究の醍醐味をめぐる極めて有効な機会となるものでした。その結果、新たなチームを作り所属を超えた研究の輪ができたものです。さらに大先生方の息吹に直接触れることで飾らない身近な様子を知る上で貴重な機会でもあったのです。その中心のお一人として常に先生もおられました。全会出席者として表彰もされたのです。
 その後もいろいろな機会に先生との交流が持続しました。その一例として先生との対談がありました。それは、セコムの機関誌であった『Security』(1994,APRILNo.73。現在これは廃刊になっています)の巻頭対談として行われたものでした。これは筆者が用意したいろいろな話題をめぐって先生に質問する形式をとって行われた対談でした。タイトルは、「五感の安全学、認知科学からのアプローチ」というものです。この他にも国際心理学者会議(ICP)に参加するッアー旅行で北欧を訪れる機会にもご一緒したことなどがあります。その折の宿泊先はストックホルムのグランド·ホテルでの宿泊がありました。ノーベル賞受賞者の気分を味わう機会でもありました。その折筆者も妻を同道していたことから妻が先生の奥様のお買い物のお供としてデバートへ同道したことも貴重な機会でした。先生との研究上での交流機会は、心理学史にかかわる研究が主なものとなります。筆者が組織代表として申請した科学研究費助成金研究で、分担研究者のお一人としてご自身の課題の取り組みによって、また協力者のお一人として先生のご見識の提供を通じて参加いただいたことです。前者は、2001(平成13)年3月に公刊した研究成果報告書「日本の現代心理学形成にかかわる学間史的検討」(課題番号410024)に結実しています。この機会に、日本の心理学のルーツにあたる先人たちの学びの場となったアメリカの主に東海岸に所在する著名大学(クラーク大学、ハーバード大学、ボストン大学、そしてジョンズ·ホプキンス大学)を訪れそこに残されている史資料を収集し、日本の心理学の源流とその後の展開の跡を究明するのに不可欠な史資料によって解明するものです。ここから得られた貴重な史実を基に、当時筆者が勤務していた放送大学の科目として、「心理学史」を製作しました。そのさいには同時に心理学史のテキストを作成することもかないました(2006)。これは心理学史(ことに日本の心理学史)の日本における本格的な専門書となるものを実現できたものと自負しています。後者は、2006(平成18)年4月に公刊した「日本の心理学史に関わる海外資料収集調査研究」(課題番号15402045)にまとめられています。後者では、先生のかつての研究者仲間の人脈から伝手を得て、国立台湾大学での現地での調査資料収集を行ったものです。このさいは、荒川歩さんにも協力者として参加いただきました。それは、現在に残された旧台北帝国大学時代の心理学研究室で使用された貴重な実験機器類と現在の同大学図書館に門外不出で厳重に保管管理されている当時の研究室のスタッフや担当講義科目、さらには当時の学生たちの卒業研究のテーマなど各種史資料の収集を行ったもので歴史研究の先生の培ってこられた学問的姿勢をひそかに学ぶ貴重な機会でもありました。
 さらに、心理学史に関しては、日本心理学会の75周年を記念し『日本心理学会75年史』(2002刊行)が計画されたさい大山先生を編集委員会委員長として刊行作業に取り組みました。そのさい筆者も担当者の一人として参画し、第1章の担当を務めることもできました。この出版は、かつて刊行された『日本心理学会50年史』に続くものですが、すでに述べたように、この刊行にあたって編集委員長を務められたのが故詫摩武俊先生であったこともあらためて認めておきます。
 なお、放送大学では、客員教授として大山先生がすでに科目「心理学史」をご担当でしたが閉講に伴い心理学史は中断していましたが、筆者が専任として採用されたことと、先に述べたような研究成果を受け、心理学史に関心を寄せる高砂さんとサトウタツヤさんの協力によって、筆者と高砂さんを主任講師として制作したのが、上に述べた「心理学史」でした。その後継続科目として、「改訂版心理学史」(2010)を、同じく、筆者と高砂さんを主任講師としてサトウタツヤさんと荒川歩さんを分担者とし、講義収録にあたってはさらに若手(現在の心理学史·心理学論研究会の中心メンバー)の参加を得て実現しました。幸い、この科目は、放送大学が、放送網をBS化によって使用可能になったチャネルを用いた、放送大学アーカイブ「知の扉」の一科目として、現在(2018から2年間の予定)再放送されてもいます。

 以上のように、心理学史というと、世にある誤解の一つであるこの道の大家が老齢になって過去を語るといったこととは全く異なるものであり、心理科学の基本パラダイムの経緯を明らかにし、現在あるような心理学はなぜそうあるのか、きちんとした科学的検証と実証によって現在に再現する極めて客観的な科学的営みであることを強調します。この主旨を生かす試みに取り組まれた先駆者として、故詫摩先生、そして故大山先生のお二方をあげることができるでしょう。その精神を、将来に引き継ぐ作業を、私たちは真摯に受け止め、取り組むことが残された課題です。科学の営みは、先人の肩の上での営みといわれる通りでしょう。その重要な課題の一つとして、心理学史資料館ないし公文書館の整備と古典的機器の可能な限りの動態保存やそれらの設計図や仕様書の維持管理などがあることを、深く認識したいと思います。筆者は、この取り組みの大切さを提言した論文を公刊しています(1996)。日本心理学会も、100周年を迎える時期は間近です。そのうえ、心理学を学ぶことで取得できる国家資格化(公認心理師)も実現し、心理学の在り方も教育カリキュラムも、一新され新たな展開を開始しています。この先の心理学の生き残りを1000年以上持続可能にすることは私たちの使命です。そのためには、事前に確かな事業継続計画を策定しその歩みをマネジメントすること(BCP/M:business continuity plan/management)が組織的に求められるでしょう。
 先人たちの残した功績を受け継ぎ、さらなる発展と展開をなし、さらに次世代以降に適切なデータを引き継ぐことが可能になるような的確な取り組みが求められていると言えるでしょう。